非常に最近出た、最高裁判例があります。
最判平成30年7月19日
ついこないだ、「君が代不起立で再雇用拒否 最高裁、都の裁量権認める」などのニュースになったものです。
なによりも、卒業式での君が代起立斉唱の判例は、とても有名で、行政書士試験にも出題されることがあります。
かなり長いですが、裁判例を引用してみましょう。
ま、私は学者でもないし法律の専門家でもないので、軽い気持ちでお読みください。
半分くらい、自分の勉強のために記しています(笑)
〇最判平成19年2月27日
論点:音楽専科の教諭が君が代のピアノ伴奏をしなかった職務命令違反に対する戒告処分は違憲か?
・君が代斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が、直ちに教諭の有する歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることは出来ない。
・客観的に見て、入学式の国歌斉唱の際に、ピアノ伴奏するという行為自体は、音楽専科の教諭などにとって通常想定され期待されるものであって、上記伴奏を行う教諭などが特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものである。
・憲法15条2項「公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」し、地方公務員法30条は、地方公務員は職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し、同法32条は、上記の地方公務員がその職務を遂行するにあたって、法令などに従い、かつ上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定するところ、この教諭は、命令に従わなければならない立場である。
よって、校長からの職務命令は、その目的及び内容において不合理であるということは出来ない。
反対意見:
本件の問題は、入学式において、ピアノ伴奏をすることは自らの信条に照らして、この教諭にとって極めて苦痛なことで、それにも関わらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあると思われる。
…特に、学校の公的儀式の場で、公的機関が、参加者にその意思に反してでも、一律に行動すべく強制することに対する否定的評価と言った側面が含まれる可能性があり、これが重要なのではないかと考える。
…信念・信条に反する行為を強制することが憲法違反にならなかどうかは、…改めて検討する必要がある。
そして、本件の場合にも、ピアノ伴奏を命じる校長の職務命令によって達せられようとしている公共の利益の具体的な内容は何かが問われなければならず、そのような利益と教諭の思想及び両親の保護の必要との間で慎重な考慮がなされなければならないものと考える。
〇最判平成23年5月30日
論点:都立高校の教師が卒業式において、国歌斉唱をすることを命じる校長の職務命令に従わず、戒告処分を受けた。その後、非常勤委託員などの採用選考において、不合格とされた。この職務命令が違憲であり、不合格は違法であるのか?
・公立高等学校における卒業式の式典において、国旗としての日の丸の掲揚、及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実でああって、…この行為は一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有し、…起立斉唱を求める職務命令は、…歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということは出来ない。
・しかし、国歌の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。…個人の歴史観ないし世界観に由来する行動を求められることとなり、…そのものの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある。
・このような間接的な制約が許容されるか否かは、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の様態などを統合的に考量して、当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
学校の卒業式や入学式等…儀式的行事においては、生徒などへの配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な信仰を計ることが必要であると言える。…そして、地方公務員である公立高等学校の教諭は、法令等及び職務上命令に従わなければならない立場にある。
これらの点に照らすと,本件職務命令は,公立高等学校の教諭に対して卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い,かつ,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
・以上の諸事情を踏まえると,本件職務命令については,前記のように外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
〇最判平成23年6月6日
最判平成23年5月30日とほぼ同じ。
・君が代の起立斉唱が、歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結びつくものとはいえず、…特定の思想又はこれに反対する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である。
・個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなる限りにおいて、そのものの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定しがたい。
・卒業式や創立記念式典という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌の起立斉唱行為を求めることを内容とする職務命令は,高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
反対意見:
多数意見は,式典において国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為は慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,その性質の点から見て,上告人らの有する歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではないとしている。多数意見は,式典における起立斉唱行為を,一般的,客観的な視点で,いわば多数者の視点でそのようなものであると評価しているとみることができる。
およそ精神的自由権に関する問題を,一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当でないと思われる。なお,多数意見が指摘するとおり式典において国旗の掲揚と国歌の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であるが,少数者の人権の問題であるという視点からは,そのことは本件合憲性の判断にはいささかも関係しない。…
見てくると、以下のようにまとまります。
1、国歌の起立斉唱行為は、直接的に思想や良心を制約するものではありません。
2、ただし、直接的にではなく、間接的に制約する面は否定できません。
3、でも、職務命令の内容と目的を考えると、間接的制約を課したとしても、職務命令の方に必要性と合理性がありますね。
このようなポイントはぶれることなく、判例が成り立っています。
もちろん、反対意見はアグレッシブで、人権問題は多数派だ少数派だという問題じゃないと、切り込んでいて、おもしろいところです。
ちなみに、この問題でちょっと系統が違う判例は、最判平成24年1月16日です。
今回は触れないのですが、これは起立斉唱しなかった職務命令違反において、『過去に服装などに係る職務命令違反による戒告1回の処分歴があることをのみ理由にした減給処分は、処分の選択が重きに失するものとして、社会観念上著しく妥当を欠く』と判示していまして、職務命令の違憲審査は触れずに、その後の処分が重すぎるという判例でした。
さて、今回の判例ですが、最高裁は、国歌の起立斉唱行為について議論しているわけではありません。
それもそのはずです、もともと、この裁判は、再任用職員に不合格となった教諭たちが、都教委に対して、不合格にしたことは裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるとして、国家賠償請求をしていた裁判でした。
つまり、論点は、都教委の裁量の範囲の逸脱又はその濫用にあるのであって、国歌の起立斉唱行為を求める職務命令の違憲判断にあるのではありません。
このニュースを見て、実に国家の起立斉唱行為云々を語るのは、まずお門違いです。
判例によると、
『再雇用職員制度及び非常勤教員制度の下においては,平成12年度から同21年度までの間に,新たに採用されることを希望する者の全員が採用候補者選考に合格した年度もあったが,多くの年度では90%から95%程度が合格した。
…任命権者は採用を希望する者を原則として採用しなければならないとする法令等の定めはなく,また,任命権者は成績に応じた平等な取扱いをすることが求められると解されるものの(地方公務員法13条,15条参照),
採用候補者選考の合否を判断するに当たり,従前の勤務成績をどのように評価するかについて規定する法令等の定めもない。
これらによれば,採用候補者選考の合否の判断に際しての従前の勤務成績の評価については,基本的に任命権者の裁量に委ねられているものということができる。』
この判断は非常にリーズナブルかなと、私は思います。
評価するための基準が法令に無いのであれば、任命権者の裁量にゆだねられていると判断することは普通だからです。
(むしろ、突っ込みどころは、何で基準を作らなかったんだ!っていうことですが、それもこの裁判の論点ではありません)
もう少し判例を引用すると、
『そして,被上告人らの本件職務命令に違反する行為は,学校の儀式的行事としての式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらすものであって,それにより式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い。加えて,被上告人らが本件職務命令に違反してから本件不合格等までの期間が長期に及んでいないこと等の事情に基づき,被上告人らを再任用職員等として採用した場合に被上告人らが同様の非違行為に及ぶおそれがあることを否定し難いものとみることも,必ずしも不合理であるということはできない。』
これは、今までの最高裁判例を踏襲しているにすぎないことは、すぐ理解できると思います。
慣例上の儀礼的な所作を求める職務命令は、教育上の行事にふさわしい秩序の確保、式典の円滑な進行を目的としていると最高裁はずっと言ってきたのですから。
職務命令に背いた者に対して、もう一度、職務命令に背く可能性を考えるのは、普通じゃん?
任命権者に広い裁量があるならば、不採用を決めても裁量権の逸脱又は濫用じゃないでしょ?
非常に普通の論理で、最高裁は処理していると考えられます。
もちろん、私個人的には、国歌起立斉唱を職務命令とすることに対しては、違和感を感じます。
国歌起立斉唱をするならば、心から喜んでするべきものだからです。
心から喜んでできないのであれば、それを拒否する自由を認めておくことは、大切かなとは思います。
最判平成23年6月6日の反対意見のように、多数派は、国歌起立斉唱を慣例上の儀礼だと考えるでしょうが、そのようには考えない、少数派にまで多数派の意見を適用するのは乱暴であると思います。
私は、牧師ですから聖書を引用せざるを得ないのですが、
新約聖書 1コリント10:23
「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。」
都教委も、教員の皆さんも、自分の思想や良心に対して、すべてが許されています。
しかし、それが本当に他人の益なのか、自分と他人を造り上げるものなのか?
いつも考え続けなければならないということです。
最高裁判例は、反対意見を含め、少しずつ前進しているかのように、私には見えます。
卒業式や入学式という式典の意味も時代ごとに変わっていくことも考えられます。
時代が変われば、職務命令の目的より、間接的制約の方が重いという逆転した判断に変化する可能性だってあります。
それを可能にするのは、誰でしょうか?
それは行政でもなく、国会でもなく、裁判官でもありません。
それは主権者である、私たちなのです。
ニュースで終わらない。もう一歩先に進んでみる。
それは非常に大切なことだと思った、この最高裁判例でした。






